こんにちは、あまのです。前回打刀の作刀記事を公開してから間があいてしまいました💦作刀記事にすべきか、築古狭小物件のライフハック記事にすべきかハムレットの如く悩んでいたら一ヶ月、二ヶ月と過ぎていきました。
書かない期間が長引くとブログの編集も億劫になってしまい、良くないですね。起床時の枕元に散らばる髪の毛くらいたくさんいらっしゃるファンの皆様には大変なご迷惑をおかけしましたこと、ハゲしくお詫び申し上げます。
悩んでいる間にも作刀意欲は抑えられず、短刀拵が一振り完成し、匕首拵も8割完成という状態になってしまいました。築古狭小物件のライフハックネタもあるにはあるのですが、写真が揃っていないので書き始めても完成するのに時間がかかりそうなんですよね…
短刀なら写真もあるし完成しているし…ということで、またしても刀の記事いっちゃいます💕
日本刀に関する基本的なことや細かい作り方は以前の記事をご参照くださいね♪
短刀とは?
本記事のタイトル、ご存じの方も多いですよね?
時は元禄14年 (1701年)、江戸城は松尾のぼ…、間違えた、松之廊下にてある事件が起きました。播磨赤穂藩藩主、浅野 内匠頭 長矩 (あさの たくみのかみ ながのり、以下甲とする) が吉良 上野介 義央 (きら こうずけのすけ よしひさ/よしなか、以下乙とする) に刀で切り掛かったという事件です。切り掛かった理由については、乙が甲を付け届が少ないことを理由に冷遇したためと言われております。詳細は日本史の教科書でも読んでください(超適当)。日本史については教科書よりも漫画の方が効率的という意見もあり、実際大学入試の内容も結構カバーできたりします。ただ、近現代史については出版社によって解釈が分かれたり忖度もあったりするので書かれ方がまちまちなようですね…
さて、ここまで読んで疑問に思った方もおられるでしょう。なんで城内で「刀で切り掛かる」ことができたのでしょうか?
武士が登城する際には打刀を持ち込むことが禁じられる一方、特別な場合を除いて一尺未満の短刀は持ち込みが可能でした (殿中指)。それゆえ、甲が乙に対して切り掛かった際にはこれを用いたのではないかと考えられております。
このように、城内に持ち込むことができるような短い日本刀を短刀と呼びます。上記のような殿中に持ち込む用途であれば殿中指、女性や子供や死者を守るためであれば守り刀と呼びます。その短さから懐に収めるという携帯方法を取ることもあり、この特徴から懐刀や懐剣と呼ばれることもあります。さらに、鍔がなくて柄と鞘が直接触れる設計のものが多く、これらは匕首といいます (鍔のある短刀は小さ刀)。このように、形や用途によってさまざまな名前がついているので、ややこしいのが短刀です。
短刀のつくり
以前の記事で、日本刀の構造について説明しましたが、基本的には短刀も同じ作りです。打刀や脇差との主だった相違点を以下に列挙します。
- 刃に反りがない
- 平造りである(断面が三角形)
- 柄巻がなく鮫皮が剥き出し
- 鍔がない
…なんですが、例外がめちゃくちゃ多いです。打刀や薙刀などを磨り上げて作ったものであれば反りもあるし造りも鎬造りです。鍔や柄巻がある短刀もかなり多いです。小さいので作り始めるとすぐ出来上がりますが、設計の時点で頭がパンクしそうになりますね。ええ、なりましたとも。しかし、フサフサですとも!
あまの作の短刀
さてさて、いろいろ例外の多い短刀ですが、あまのは時代考証とかにはあまり拘らなず、実現可能かつ実際にあり得るデザインをコンセプトに作刀しております。
今回の作刀で一番困ったのは柄です。鮫皮剥き出しと説明しましたが、端切れでないエイの皮を用意するのはお金がかかります。機械ならともかく、使い切りの材料で数千円の出費はとても痛いです。そこで、打刀や脇差同様鹿革の上から柄巻を施しました。
柄巻があるなら鍔も無いとバランスが悪い…ということで、柄や鞘から0.8 cmくらいはみ出る程度の小さい鍔を作ることにしました。薬研藤四郎を思い浮かべてくれればいいです。「思い浮かぶ人いないだろ」と思いきや、ゲームに出てくるらしいですね。なんともマニアックなゲームがあるものです。ジャパニーズカルチャーの深淵を覗いてしまいました。
さてさて、薬研藤四郎っぽいあまの短刀ですが、写真のような仕上がりになりました。刃長が数cm短いのでやや寸胴に見えるかもしれません。
打刀や脇差と比べるとどうしても太く短くなってしまうので、柄や鞘を削って削って細くしたつもりですが、抜刀時の写真を見るとそれでも太く短いイメージが払拭しきれておりません。某youtube動画で透けるほど薄い拵について言及がありましたが、あれくらいを目指すべきだったのかもしれません…
ちなみに、目貫は眼鏡です。花鳥風月や海馬などのネタが思いつかなかったのと、花鳥図目貫が大き過ぎたことの反省から極力シンプルなものを目指しました。拵にセットする前の写真を以下に示します。
こんな感じで石でできた薬研をも切れる薬研藤四郎のような短刀が出来ました。石は無理でもプロ野球チップスの袋25袋(1袋90円、計2250円)くらいなら切れると思います。
ところで藤四郎って誰よ?
この“藤四郎”ですが、鎌倉時代中期に活躍した刀工で本名は粟田口 吉光(あわたぐち よしみつ) といいます。彼と正宗、郷義弘、ロン・ベルクをセットで“天下の三名工”とよぶそうです。名工と呼ばれるだけあり、彼の作品の多くは国宝や重要文化財に指定されております。薬研藤四郎は徳川 吉宗が作成を命じた「享保名物帳」に収載される名刀として知られております。似ているなどというのは烏滸がましいにも程があると言われそうですが、吉光ファンの皆様におかれましてはご容赦いただければと存じます。
吉光は短刀の名手で、多くの短刀が名物帳に収載されています。彼の作品は骨喰藤四郎など〇〇藤四郎と呼ばれるものが多いので、刀剣マニアでなくともすぐに彼の作品とわかりますね。ひばんたに?それは”とうしろう”違いですな。
おわりに
今回のアイキャッチは最近流行りの生成AI (MyEdit) を使用して作成いたしました。日本刀が謎のウエポンになっていることを除けば良くできていると思います。AIの描いた人物画は手足の末端がおかしくなるという話も前はよく聞きましたが、ちゃんと描ける確率は高まっているみたいで、結構楽しく描いてもらいました。今後もアイキャッチはAIにお願いしようかなと思わないこともない今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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